上野ゲイバー店長のブログ

2024年2月15日のブログ

              今日は2月なのに暖かい日でしたね。私は休日だったので個人の確定申告をしたり銀行行ったりして過ごして今の時間になります。部屋の掃除を終わらせて犬の散歩を済ませて部屋でビールを飲んでおります。上野で店子をしたのがもう14年くらい前ですが、それがきっかけで新宿、上野、新橋とゲイバーを開業して今に至りますがゲイバーの存在意義とは何なのか?みたいな事を今日は書こうと思います。

              私にとってゲイバーを経営してる中で大きな影響を受けたのが「コロナ禍の緊急事態宣言」です。夜の街は感染源みたいな扱いで、自分の仕事である「ゲイバー」もそれまでは楽しくやってたんですが、コロナ禍以来、何か悪いことをしてるような後ろめたいようなそんな罪悪感がありました。コロナが落ち着いた今もその罪悪感はなぜか残ってます。それはただ単に「夜の街」だからか?と考えたのですが、もしかしたら「ゲイ」であることにもどこか後ろめたい自分がいるのかも?と色々と考えさせられました。もしかしたら親や知り合いに堂々と自分の仕事を胸を張って言えない自分がいるのかもしれないとも思いました。「私はゲイバーを経営してます。」と堂々と言えなくなってしまったのかもしれないです。ただコロナ禍も落ち着き私は両親にもゲイバーを経営してることがバレてるので今はそのような後ろめたい気持ちもないのですが、ゲイバーを経営しててその存在意義を考えた時に二つ自分が思うところがあります。一つ目は飲んで楽しんで出会いの場所をつくりたいということ。本来のゲイバーの形だと思います。二つ目に私が思うのは、私含め何らか「後ろめたい気持ち」を持ってるゲイのための居場所としての役割でもあると思うのです。LGBTの権利も大分認められてはいますが、まだまだマイノリティーであり、社会的弱者出歩こtには変わりないと思うのです。他のマイノリティーである障がい者や女性、高齢者、児童、母子家庭などはある程度、法律なども整備されてて居場所や相談出来る場所もある程度、整備されてるとは思うのですがゲイに関しては、存在自体が隠そうと思えば隠せるし、ここ最近、マイノリティーとして法律の整備などが一気に進んだ感があるので、当事者が誰かに自分の状況などを話せる場所がゲイバー以外はないような気がするのです。そういう意味ではゲイバーはただ単に夜の店ではなく、相談が出来る相談所的な役割を担ってると思うのです。

              コロナ禍で一時期、休業したのちに営業再開した時に飲食店はなかなかお客様が戻ってこないで苦戦してた背景がありましたがゲイバーはそこまで影響を受けなかったように感じます。なぜならただのバーとしての側面だけではなく性的少数派が寄り添える「唯一の居場所」だったからではないかと思います。長々と書きましたが今回は私が思うゲイバーの存在意義について書きました。これからも新宿、新橋、そして上野のゲイバーを盛り上げでいきたいと思います。

                             上野店 店長 電信柱