2024年10月6日のブログ
今回は上野店の元チーママについてブログをかきます。僕が彼に出会ったのはもう9年前くらいだと思います。新宿店で勤務していた時に彼は新宿の別の観光バーで勤務していてお客様として来てくれていました。その時は彼も20代前半ですごくお若いのにお酒もよく飲むし気遣いも客なのにすごくしてくれて一緒に工藤静香を歌ったりしてくれました。よくうちのお店にも来てくれていたので彼のお店にもたまに行っていたりしたら仲良くなりました。
ある時、彼が新宿のお店をやめたのをきっかけにうちの上野店によく飲みに来てくれていて、その時にお住まいも引っ越したいとの事でしたので知り合い経由で足立区の物件を紹介して、それから上野店に入れるとの事で入ってくれたのが始まりでした。凄い頑張り屋さんで、年は私とかなり離れていましたが、他のスタッフと違ったのが、私に結構、店の経営のこととか売り上げのこととか積極的に心配してくれて話しかけてくれた事です。「健一さん絶対に上野で一番の人気店にしましょう。」とか色々と助言をくれたのを覚えています。また気遣いが上手な子で「健一さんは疲れてないですか?」とか色々と声をかけてくれたのが印象的でした。頑張り屋さんでしたので最初はマネージャーからチーママをおまかせして上野店の売り上げが徐々に上がっていき、今までで過去最高の売り上げは彼がいた時でした。
ただ頑張り屋さん過ぎて8時間超えてもずっと働き続けていたり、ずっとお酒を飲み続けて目が虚になるまで働いていたので、僕がもう働きすぎなのでカウンターから出て休んでくださいと怒ったことも数回ありました。でも責任感の強い彼はお客様がいるので接客したいという気持ちが強くて頑張り過ぎていました。
ある時、お酒の飲み過ぎで体を壊して救急搬送されました。というか僕がお店にお昼に用がありお店に入ったら彼が倒れていたので救急車を呼びました。その時にお酒の飲み過ぎで膵臓が危険な状態で病院の先生に、アナウンスで「バーのオーナー様説明があるので来てください」と呼ばれて、これ以上、お酒を飲ませたら命に関わりますと言われた事がありました。その時に覚えているのが彼がずっと手を握りしめていた事でした。あんなに頑張り屋さんの彼でしたがお酒が飲めない以上、一緒に働くことが出来なくなりました。あの時のなんとも言えない喪失感は忘れられませんしとても悪いことを彼にもしたような気持ちでした。
その後は彼とは少し音信不通になりましたが別の仕事も始められて元気な様子も聞いていました。正直言えば体調の面がなければもっと一緒に仕事をしたかったし色々とお話もしたかった。僕はずっと尊敬していましたし感謝していましたよ。たくや君ご冥福をお祈りします。本当に本当に、ありがとう。 健一